予想と期待が現実と一致すると、潜在意識が躾けられる

私たちは
予想と期待が現実と一致すると、
『やっぱり!』
と思ったり言ったりします。

『やっぱり!』と思ったということは、
未来に対して何らかの
予想と期待をしていたということです。

反対に、
予想と期待をしていない時には、
『やっぱり!』とは思いません。

 

快を感じるたびに、
これが自分の好みであり、
こうなったら快と感じる、
こうなったら幸せ、
ということを潜在意識に躾けています。

そしてまた
同じできごとやものごとが起こった時、
やっぱり逃さずに
幸せを感じることができるのです。

 

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Yes!が繰り返し起こるほど、快を大きく強く感じて行く

私たちは同じことが二度三度と続くと、
なぜか自然と根拠なく
『また起きるかも』と未来を予想して
期待してしまいます。
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そしてYes!なことが繰り返し起こるほど、
快の感じ方が強くまたは大きくなります。

 

「朝の満員電車に乗った次の駅で
目の前の席が空いた」という、
一度目の予想していなかったYes!を
感じた時より、

二度目に『また空いた!』と
ぐうぜん同じYes!を感じた時の方が、
快を大きく強く感じます。

また
ぐうぜん同じYes!が起きた二度目より、

『また空いちゃうかも♪』
と予想や期待をしていて起こった
三度目のYes!の方が、
快を大きく強く感じます。

 

私たちは
繰り返しYes!が起こるほど、
さらに
未来のYes!を予想や期待をしている方が、
幸せを大きく強く感じています。

 

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二度三度起こると『また起きるかも』と根拠なく期待してしまう

私たちは同じことが二度三度起こると、
未来に『また起きるかも』
と期待してしまいます。

 

たとえば朝の満員電車に乗ったら
次の駅で目の前の席が空いた時、
少し『ラッキー♪』と思ってしまいます。

そして次の日も次の駅で
目の前の席が空いたらまた
『ラッキー♪♪』と思います。

すると3日目は満員電車に乗る前から
『また今日も席が空いちゃうかも!?』
とちょっと期待している自分に
気付くでしょう。

そして本当に席が空いたら
『やっぱり空いた!ラッキー♪♪♪』
と思います。

 

もし1日目2日目と
続けて目の前の席が空かなかったら、
『また今日も席が空いちゃうかも!?』
と期待することはありません。

でも同じことが二度三度起こると、
なぜか自然と根拠なく
『また起きるかも』と未来を予想して
期待してしまいますす。

 

なのでもし意図的に
Yes!なことを探して気付いて
繰り返し味わっていたら、

不快なことではなくYes!なことを
自然と心に予想させ
期待させることになるのです。

 

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小さなできごとにも喜べる自分

私たちは『もっと幸せになりたい』
と思いながら生きています。

そこで幸せになるために、
自分がいつどんなできごとやものごとに
幸せを感じているか?
を確かめていきます。

 

そんな時、
あるできごとに対して
あなたの心が快へ触れたとします。

その瞬間こそが、
あなたが幸せを実感した瞬間です。

そのできごとがあなたにとって好きなもの、
『好み』です。

 

意識して好みを探していると、
小さなできごとやものごとにも
快を感じていることに気付き始めます。

たとえば、
満員電車に乗ってスグに前の席が空いた、
みたいなことで、
ちょっとだけ『ラッキー♪』
と喜んでいる自分に気付きます。

こうして小さなできごとにも喜べる感受性が
育ってきます。

そして
小さな嬉しいことがたくさん集まってくると、
幸せを感じるハードルが下がってきます。

 

これは言い方を変えると、
『嬉しいことは素直に喜んでいいんだ』
という許可を
自分に与えていることになっています。

私たちはいつの間にか、
幸せを感じるハードルを
自分で決めつけています。

たとえば
『コーヒーをおごってくれたくらいじゃ
喜ばないけれど、
イタリアンレストランのコースなら嬉しい』
みたいな。

ごちそうになったこと自体は、
自分で払うよりは嬉しいはずなのに、
小さな喜びの瞬間を逃してしまっています。

 

かと言って
自分に許可を出すための手段として
好みを探してしまうと、
幸せになるという目的が

そうではなくて
あなたにとっての好みを探すと、

「いつの間にか」「自然と」
『嬉しいことは素直に喜んでいいんだ』
という許可を与えることになっていきますよ、

ということです。

 

こうしてあなたは
幸せのハードルが下がり、
『嬉しいことは素直に喜んでいいんだ』
という許可を自分に与えて、

幸せをたくさん感じられる自分に
なっていきます。

 

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好みで選べば自己正当化も証明も必要なくなる

私たちはつい、
「正しい」と思うためにその証拠を集めて
正しさを証明しようとします。

それは、
快不快という心の軸ではなく
正しいか間違っているか?
という頭の中の軸で考えているからです。

 

正しいか間違っているか?
という軸で考えている限り、
自分正当化し続ける必要が発生してしまいます。

そして「自分は間違っていない」ということを、
証明しなければならなくなって
しまっているのです。

つじつまが合ったことに対する快は
感じるかもしれません。

でも得たい快を得たわけではありません。

 

快不快という心の軸、
好みで選択している限り、
自己を正当化する必要もないし、
正しい証拠を集める必要も
なくなるのです。

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選んだ行動を『正しかった』と思いたいのはなぜか?

私たちは自分の選んだ行動を、
『正しかった』と思いたくなります。

これは、
『間違っていなかった』
つまり不快から逃れた、
という安心感=快を得たいからです。

 

私たちが好きな方を選んだ時や、
好きで何かをやっている時、
安心感=快を得ています。

その時にわざわざ
「どうしたら良いんだろう?」
と自問はしていません。

「間違っていなかった」
と思いたくなることもありません。

自分の好みがハッキリしているから、
悩むこともないし
わざわざ安心感を得る必要もないからです。

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「どうしたら良いんだろう?」の問いが悩みを生んでいる

私たちは、
不快に軸を置いて生きています。

危険を感じないと生命に関わるので、
まず危険に不快を感じるからです。

 

私たちにはその本能があるので、
『間違えなければ不快にならない』
『正しければ不快にならない』
と頭で考えます。

そして
「どうしたら良いんだろう?」
と正解を探します。

 

ところが結果は、
間違えなければ不快にならないけれど、
正しければ不快にならないけれど、
快にはなりません。

そして欲しい結果、
快が得られないから悩んでしまいます。

 

私たちは正解かわからないから
悩んでしまうのではなくて、
「どうしたら良いんだろう?」
という問いの投げかけをするから、
悩みを発生させているのです。

私たちには快か不快があるだけなので、
正しいか間違っているかで悩んでも
そもそも正しい答えはないのです。

 

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悩むことと迷うことの違い

どちらも同じくらい好みの場合、
たとえば就職活動で
第4希望と第5希望から内定が来た時、
より快な方はどちらかで迷います。

一方で、
どちらが好みかがハッキリしている場合、
たとえば
第2希望と第8希望から内定が来た時は、
迷いませんよね。

 

悩んでいる時は、
好みがハッキリしていない時です。

選択肢がわからないので、
選べません。
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迷っている時は、
好みはハッキリしています。

より好みはどちらか?がわかれば、
いずれ選べます。

 

悩む時は頭が動き、
迷う時は心が動いています。

 

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好みがはっきりすれば、悩まない

正誤・良し悪しの判断ができていないから、
悩むのではありません。

正誤・良し悪しを探そうとしているから、
悩んでいます。

悩むのは心の快不快、
つまり好みがはっきりしていないからです。

 

快がわからないから、
行動を選べません。

本当は嫌なのに、
気合や根性で行動したりします。

 

私たちは、
好みがハッキリしている時には悩みません。

悩んでしまうのは、
頭で良し悪しを考えていて
好みがハッキリしていない時だけです。

私たちの中には
好みの自分はいるけれど、
正しい自分など存在しないのです。

 

ということは私たちは、
好みをハッキリさせれば
悩まなくなります。

悩むことなど思い浮かびもせず、
好みの方の行動を選択して
すでに動いてしまっている
ことでしょう。

 

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なぜ正解を求めてしまうのか

正しいか間違っているか、
良いか悪いかは、
心の快不快の後から
頭で考えています。

正解を探してしまうのは、
間違うと不快になってしまう
と考えているからです。

 

たとえば小さなころ、
お手伝いをしたら褒められて
いたずらをしたら怒られて、

学校に行くと、
100点をとったら褒められて
20点をとったら怒られて、

会社に行くと、
提出期限に間に合うのはもう当たり前で
ちょっとのミスでこっぴどく怒られます。

 

私たちは、
正解を選べば快になり、
間違えれば不快になると
刷り込まれてきてしまいました。

でも正しい行動を取っても
うまくいかなかったり、
正しい行動を知っても
動けなかったりします。

それは頭で考えた正しい行動に、
心は快を感じていないからです。

 

私たちは
心の快不快を基準にすることだけが、
自分を幸せの方に向かわせます。

 

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